中国情報:中国にまつわる旗-非公式なもの-

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中国に関する旗を公式なものと非公式なものとを少し集めてみました。

非公式なもの

過激な地図

過激な地図

中華人民共和国政府が主張する国土を、台湾・モンゴル・ウイグル・チベットに分割された地図です。ウイグルを訪れた際、漢族に対する反発と独立運動を肌で感じました。チベットもダライ・ラマが亡命しているなど独立運動が盛んです。しかし近年、中央政府の政策で経済格差をなくす政策が施され、また先のテロにより世界情勢が「独立運動=テロ活動」と安易に結び付けられ、独立は難しいと思います。ウイグルではカシュガルまで鉄道が敷設され、チベットでもラサまでの鉄道が建設中です。こうなってくると益々難しい状況となるでしょう。現在の国家主席である胡錦涛は、88年〜92年にかけて中共西蔵自治区委員会書記を勤め、チベット暴動を鎮圧した人物です。

The Uyghur American(UAA)(英語)
1998年5月23日にアメリカのウイグルコミュニティーによって結成されたウイグル独立を目指す組織。東突厥斯坦共和国には大統領がいるのです。


中華民国(台湾)

中華民国

1949年以来中国国民党が支配。上海辞書出版社から1990年に出版された『中国地名詞典』によると、「台湾省」となっている。まあ、他の中国から出版されている地図はどれも当然「台湾省」となっているね。また同書では「台湾省」は「1945年抗日戦争の勝利の後、中国に返還された」と簡単に述べているのみ。1000ページからなる辞書なのにね。また、台湾の高山族はきっちりと少数民族として登録されています。中華民国の方も、国土はモンゴルを含め今の中華人民共和国よりも広大な領土としていたっけ?首都は南京だったっけ?まあ、中華人民共和国よりも現実的に方向転換したような記事を目にした記憶が…。


東トルキスタン共和国(新疆ウイグル自治区付近)

東突厥斯坦共和国

この旗は中国国内では持っているだけで罰せられます。入谷萌苺の『幻の「東突厥斯坦共和国」を行く』には「三日月と五つの星からなる」とあったが…。

中国は広大な領土であるのに正式には時差がない。北京を基準とした時間で国内が統一されている。当然、東の新疆ではかなりの無理がある。ウイグル族の腕時計を見ると北京時間より3時間遅い。新疆時間が存在するのである。でも、銀行や鉄道などの公的機関は北京時間。実にややこしい。


1933年と44年に2度「東トルキスタン共和国」は成立したのである。しかし、いずれの場合も、国際環境と中国という枠組の狭間で、トルコ系諸民族は自力のみによって自立性を維持することができず、最終的には中国に組み込まれ続けることとなった。

1949年「解放」直後にはウイグル族の20分の1にしかすぎなかった新疆における漢族の人口は、50年後にはウイグル族人口に接近し、人民解放軍を加えれば、ウイグル族人口を凌駕すると言われている。このような事情は、政治・社会・経済などあらゆる面における変動の主要な源のうちの一つとなってきたのである。

文化大革命時代(1967〜70年代)には、民族的特徴やイスラム信仰など、トルコ系諸民族の独自性が圧殺され、彼らは困難な状況に陥った。しかし、80年代に入ると、民族・宗教政策の明確な変更にともない、イスラムの復権や民族文化の強調などが目立ってきた。また、「改革・開放」政策に沿う形で、辺境部の新疆においても経済発展が見られるようになった。しかし、90年におけるアクト県バリン郷のウイグル人と公安との衝突を始めとして、様々な事件が発生し、盛んに報道された1997年2月のイリにおける事件へと繋がっていく。他方、1991年のソ連邦崩壊・中央アジア諸国の独立は、隣接する新疆を取り巻く新規のアスペクトを生み出した。

- 新疆研究サイトより抜粋 -
関連サイト
チャイナネット(中華人民共和国公式サイト)-政府白書:新疆の歴史と発展

チベット(西蔵自治区および青海省の一部付近)

チベット

この旗は中国国内で持っているだけで罰せられます。

中央の白い三角は「雪山」を表している。赤い六本の光線はセ、ム、ドン、トン、ドゥ、ダのチベット民族の起源となった六つの氏族を象徴している。民族を示す赤い光と空の青さが交錯しているのは、遥か昔から赤の護法尊と黒の護法尊によって、チベットの宗教的秩序と世俗的秩序が護られていることも象徴している。獅子が左手でささえている三色の宝石は仏法僧の三宝を表しており、チベットの民が常に三宝を頭上に拝していることを象徴している。獅子が右手でささえている大極図のような宝石(nor bu dga' 'khyil)は十善業法(lha chos dge ba bcu)と十六浄人法(mi chos gtsang ma bcu gnyis)の二つをあらわし、この二つを心髄とした聖俗の法によって、自己を律すべきことを象徴している。この宝石の黄色の縁取りは、精錬された純金をあらわし、純金のような仏陀の教えが無限の時と空間に広がっていくことを象徴している。


1949年に中華人民共和国が樹立した。1951年5月23日、中央人民政府とチベット地方政府が「十七カ条の取り決め」を結んだため、チベットの平和解放が実現した。1959年に、チベットでは民主改革が実施され、封建的農奴制が廃止された。1965年9月に、チベット自治区が正式に成立した。

- 中華人民共和国公式サイト -/「チベット基本状況」より抜粋。
関連サイト
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
KInesiske soldater overfalder en demonstration for Frit Tibet
チベット特集:中国書籍中心

ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャツォ)

ダライ・ラマ14世

中国国内では、写真やビデオを持っているだけで罰せられます。

ダライ・ラマとは、チベット民族の国家的、精神的指導者である。14世は、1935年7月6日にラモ・ドンドゥップと名づけられ誕生する。2歳の時にダライ・ラマ13世(トゥプテン・ギャツォ)の転生者として認定された。

ダライ・ラマは世襲制でも選挙制で選ばれるのでもない。輪廻転生制度で、チベットの高僧・神官たちに"発見"されるのである。チベット仏教では転生(生まれ変わり)が強く信仰されており、ダライ・ラマは、姿形は変われど、いつの時代にも存在していると信じられている。


例えば現在、人間に生まれていても、次の生は昆虫・動物・鳥などの形に生まれ変わるかもしれない。しかし、悟りを開いた一部の菩薩は、次も人間に生まれ変わり、すべての生きとし生けるものの為に働き続けると信じられている。ダライ・ラマ法王もその一人である。ダライ・ラマ法王は観音菩薩の化身であり、チベットの人々を救済するために生まれ変わったとチベットの人々は信じている。

-ダライ・ラマ法王日本代表部事務所:輪廻転生制度より-

ダライ・ラマ14世が亡くなったらどうなるのだろうか?パンチョン・ラマ11世の時のように、チベット側が認定したダライ・ラマと、中国政府が認定したダライ・ラマが並び立ちそうである。チベット民衆の支持を得るのがどちらであるかは明白である。

中国政府は、ダライ・ラマ14世の死を待っているだろう。15世を自身の手で宗教的指導者としてのみ認定し操り、チベット問題を解決しようとするだろう。失敗すると思いますが。もっとうまい手段で問題解決を図るのかな。でもチベット独立は絶対に認めないだろうしなぁ。

ダライ・ラマ14世は、今後どうするであろうか。もしかするとチベットに戻るのではないかと思います。死の前に問題解決ができればよいのでしょうが、ある程度道筋を作ろうとするでしょう(今もしていますが)。最近の詳しい動きは知りませんが、当初の独立要求からかなり妥協していると聞いたことがあります。とりあえず"チベット仏教を中国国内において認めろ"と。でもこれを中国政府が呑むと、その先には独立要求が出てくるだろうし呑まないでしょうね。

チベットのラサまで鉄道が建設中です。旅行者などにとってはありがたいことのように思えますが、ダラムサラや独立を願うチベット民衆にとっては脅威でしょう。中央との格差をなくし経済的発展を施すことにより、中央に対する反発を和らげようとするものです。経済的安定がチベット安定に繋がるのでしょうか?

チベット関連書籍
ダライ・ラマ自身の著作物
チベット関連書籍
チベット旅行記

パンチョン・ラマ11世(ゲンドゥンチュキニマ)

パンチョン・ラマ11世(ゲンドゥンチュキニマ)

パンチョン・ラマとは、ダライ・ラマに次ぐ第2の活仏(高僧の生まれ変わり)である。1989年、パンチョン・ラマ10世の死後、1995年5月にダライ・ラマがゲンドゥンチュキニマという童子を11世として認定したが、3日後に中国共産党はこの子を拉致して、別の童子を擁立してタシルンポ寺で即位させた。しかし、この童子もテロを恐れて公衆の面前にでることはない。ゲンドゥンチュキニマの消息は1995年7月以来不明。前世、パンチョン・ラマ10世も14年間投獄されていた。


【活仏問題】

チベット自治区指導者は「カルマパ問題の政治利用に反対」

朝日新聞によると、全国人民代表大会(全人代)に参加中のチベット自治区人代のライディ主任(区共産党委副書記)は9日記者会見し、チベット仏教の高位活仏カルマパ17世のインド出国問題について「これをダライ・ラマ集団などが祖国分裂をはかる政治活動に利用することに断固反対する」と述べ、同教の最高指導者ダライ・ラマ14世に身を寄せたカルマパ17世の政治利用に強い警戒心を表明した。カルマパ問題で自治区指導者が国内で外国人記者に見解を表明したのは、これが初めて。

同主任はカルマパ17世が住まいの同自治区のツルプ寺に残した「祖国、民族に背かない」などとした手紙を「自分でも見た」と強調。「ダライ・ラマ集団と国外の勢力が17世を支配し、自己の政治目的達成のために利用している」と非難した。

また17世の両親や身辺にいたラマ僧らが拘束されたとの報道は「根拠のないデマだ」と否定。政府認定のパンチェン・ラマ11世とは別にダライ・ラマ側が同11世と承認した少年の消息については「国内で幸せに生活し、学習成績も良い」などと語り、軟禁説などを否定した。

2000年(平成12年)03月14日発行:華声和語第298号より

日中記者交換協定

文化大革命の最中、世界各国の記者が北京から締め出される中、1964年に日本の記者が北京滞在を得るために交わした協定。内容は以下の3点。

  1. 中国を敵視しない。
  2. 二つの中国を造る陰謀 (=台湾独立) に加わらない。
  3. 日中国交正常化を妨げない。

上記3点を守れない場合、北京から追放されるとしたもの。新聞に限った協定であったが、現在この協定はテレビ報道にまで拡大されている。数年前までダライ・ラマが来日した際は必ず報道されていたが、最近は一切報道されませんね?自主的に強化したのかな。

上記協定を結び、日本の9つの報道機関(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日経新聞、共同通信、西日本新聞、NHK、東京放送(TBS))が北京駐在を許されたが、相次いで追い出される。しかし親中報道を貫き通した朝日新聞だけが最後まで残った。

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